誰のために何を優先するべきか、悩んだお話


ふぐ
ふぐは大分の名産ですが、本文と写真は1ミリも関係ありません。

自由と責任、ルールと基準

「有給は半年後から10日の付与としましょう」
というルールがつくられた。労務管理上のルールである。
わたしはこのルールがつくられたときに、とてもとても嫌だと思った。

有給を与えるのが嫌だというのではない。むしろどんどん休めばいいのだ。
だって、しっかり自分の仕事をして、お客さまが満足して、稼いでいれば、いつ休んだっていいじゃないですか。
実際わたしは起業して今まで、自分の裁量で休むし、働く。
(起業して2年〜3年は寝る間もなかったけれど、それを自分で選択していた。)

けれどふつうは「休んでいい日」と定めなければ休めない、休みづらいのだそうだ。
「やることさえやっていれば」の基準がないから。だから今度は基準をつくる必要があるのだそうだ。

はたして本当にそれが正しいのか?
ルールや基準をつくるということへの嫌悪感は一体どこからきているものなのか、自分と向き合って考えてみた。考えて考えて、それはもう長い間この問題に向き合ってきた。

 

仕事を理由に好きなことを我慢したりしたくない。

わたしには実現したい働き方がある。好きな人と好きなときに好きな場所で好きな仕事をしていたい。いつだって仕事は手段でしかなく、仕事を理由に好きなことを我慢したりしたくない。

人生の多くを費やす仕事だからこそ、どうせなら楽しく費やしたい。
そして会社はあくまでハコ、個人(フリーランス)では実現できないスケールメリットを出すためのチームで在りたい。
選んだ仕事に見合った報酬を得て、そしてどこまでも個人が伸び伸びと働けるために、会社とフリーランスの良いとこ取りをできる働き方を提案していきたい。

けれど、人が増えるにつれて基準・ルール・仕組みが必要となっていく現実に悩まされる。

そして、叶えたい働き方の10分の1も満たしていないからつまらないと感じてしまう。
縛られたくないから会社をつくったのに!と。なぜなのか、考えて考えて、それはもう長い間この問題に向き合ってきた。わたしの実現したい働きかたを、提案できている会社があることを知っている。その会社との徹底的な違いはなんだ。

 

誰のために何を優先するべきか

ふとしたときに、社保を完備するかどうか、悩んでいたことを思い出した。会社をつくったばかりで、わたし以外のひとりがモアモストに入ったとき。多くの先輩経営者は、10人以上の社員をかかえるまでは社保は必要ないと言っていた。けれど、はじめてジョインしてくれた彼は「社保って誰のためなんですか?社員のためですよね。だから入れるべきだと思います。」と。

誰のために何を優先するべきか?言った本人は覚えていないかもしれないけれど、とてもシンプルな答えだった。ああそうか、と社保の手続きをしたのを覚えている。そして今回のモヤモヤに、この問いを当てはめてみた。

数年後の彼らの望む働きかたのために、それを実現できる人へと育って、この文化を継承していける体制になるまで、セオリーとなるルール・ガイドラインの上で成長させていくことが、経営者としてのわたしの義務であり、責任なのかもしれない。