月別アーカイブ: 2013年3月

100年続いて欲しいと言ってもらえる会社をつくる

正月にあげたタコ。
大分川、豊府高校の近く。写真と本文は相変わらず関係ありません。

わたしがやりたいのは「サービスをやること」ではなく
「サービスをやることができる会社をつくること」だなって再確認。

そしてそれを雇用に結びつけ、「100年継続させること」が目指すところであり
「100年続いて欲しいと言ってもらえる会社をつくること」です。

1年半前は「サービスをやること」だったけれど。
来年はどう言ってるかわかりません(きりっ

やった事ある人って、やった事ない時に、やってみた人だと思う

大分県玖珠町のきりかぶ山。本文とは何の関係もありません!
大分県玖珠町のきりかぶ山。本文とは何の関係もありません!

「やった事ないんで…」
仕事でもなんでもそうだけど、僕はこの言葉で返される事が苦手だ。
気持ちはとてもわかるんだけど、それは最初は誰だってやった事ないのだ。

やった事ある人って、やった事ない時に、やってみた人だと思うのだ。
やった事ある事ばかりやってるのって退屈だと思うのだ。
だから、やった事ない事に、どんどん挑戦出来るチームにしたい。
僕はやった事ない経営をやってみてます。
via GlueInc cohtanのことば

 

ハードルなんて高くてアタリマエ

2年前までは就職活動をする立場だったわたしですが
最近、採用活動をしていて、耳にすることがよくある。

「ハードルが高そう」

何を言ってるのだろう、と思う。
そのハードルを、軽々と飛んでいるように見えるあの人にも、
やったことのない時代があったはず。

10年弱この業界にいる先輩たちを見て
ハードル高いって言ってる人がいるけど、
「それはアタリマエじゃなかろうか・・・」って思う。

 

ハードルが高いと思うなら、小さなハードルから飛べばいいじゃない

それぞれのアレコレがあると思うので、答えは1つではないと思うのだけど
ハードルが高すぎて飛べないのであれば、小さなハードルを飛びつつ、
すこしずつバーの高さを上げていけばいいんじゃないかなあと思うのですね。

わたしがこの業界に入ったばかりの頃、
技術者になりたかったけれど知識も経験ももなかったので
SEO会社の経理・総務として入れてもらい、
約2年かけてSEOと技術の考え方を教えてもらいました。

その経験があったからこそ、コード1行も書いたことがないのに、
プログラマ見習いとして技術系の会社へ入れてもらえたのです。

経理もプログラムもすべて未経験だったので、
きっとめちゃくちゃたくさん迷惑をかけました。
ほんと周りにめぐまれてたなあーと思うし、だからこそ多少の迷惑であれば全然被ってもかまわないと思えます。

 

今できないことを恥ずかしいとは思わない

「できないことが恥ずかしい」とか「相手の迷惑になるから」とか、
プライドなのか配慮なのかはわからないのですが、
一歩を踏み出さない(出せない?)人ってすごく多く感じるのですね。

それに対し、知人が弊社取締役に対して酔っぱらいながら言った言葉が印象的だったのですが

ぼくと鶴岡さんの違いは、触れてきた年数の差であり、能力の差じゃない。
だから今できないことを恥ずかしいとは思わない。
純粋に経験を積むことが楽しい。
via ソーシャニティ 代表 江藤さんより

だから迷惑をかけるかもしれないけど、教えてくださいと、走れる彼はとても強い。
少なくとも迷惑だと思ったことはないし、わたしも頑張ろうって思える。

 

ということで

モアモストでは大分で働きたいエンジニア・デザイナーさんを積極採用中です。

潤沢な資金も時間もあるわけでもないので、
おこがましくて「育てる」なんてまだまだ言えないけれど
助けてくれと手を伸ばされれば、できることがあるかもしれません。

やったことない会社をやってますが、こんな会社と一緒に成長してくださる方をお待ちしています。
見習い中でこれからこの業界を目指したい方は柔軟に受け入れてます。

本日から、バイトスタートということで1人JOINしてしてくれることになりました☆
http://nobushino.com/recruit/

お金のことに無知すぎる。

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お金のことに無知すぎる。

会社を起こす、というのは、
たくさんの大義名分と、目立ちたいとかの私念がある。
そして全てとは言わないけど、悩み事ややりたいことの、
多くを解決してくれるお金が欲しいとかの思いがある。

NONOそんなことない。わたしはわたしのやりたい純粋な想いがあるのよ!
と最初は思う。

会社の立ち上げ当初、ペットリボンというサービスをやりたくて
そのサービスのしくみを考えると楽しくて楽しくて、まあーとにかく楽しかった。
そして考えれば考えるほど、実現し守りスケールさせるために、
わりと最初の方に資金力が必要なことに気き、ハッとした。

スケールしてからでは遅く、
そのサービスで食っていけるようになるまでは平行して利益を生み出す必要があるなあと思うから。

スクリーンショット 2013-03-19 11.43.31

このツイートが、そのときのあたしにぐさりとくる良い表現をしてる。
あたしのやりたいことに、周りを巻き込みすぎてんじゃないかと。
(当時手伝おうとしてくれた人たちには迷惑をかけてばかりでした。)

サービスは生み出して終わりではない。高確率ですぐ死ぬ。

話はそれて、ここ数年、華々しいリリースのニュースは目にしたけど
1・2年たってまだ話題をかっさらってるのは
LINEやパズドラくらいじゃないだろうか。

もしくは、ファイナンス面で目を引くリブセンスさん。

確率でどう、ってのはセンスがないかもしれないけど
少なくとも大分の片田舎では、東京にいた頃あんなにこだわってた「サービス」は、
河原に自生しているつくしよりも価値がない。

というわけで、資本金食いつぶしてサービス作ってそのまま、
どこかで就職でもいいし受託でもすりゃいいっしょって思ってはじめたわけだけど、
自分のやりたいことを実現するには資金力が必要なことに気づく。
この時点でだいたい起業してから8ヶ月。

やっと、「事業会社」としての意識がつき、軌道修正した。

ちなみに、あえて「事業会社」としたのは、
なにをやってもいいけど、それ自体が利益を生み出していないのであればただの寝言でしかないし
仮に増資などで何かしら価値がついているとしても、その段階ではまだ「金融業」だと思ってる。

ファイナンスに関して無知すぎたらきっと誰も幸せにはなれない、(株主、という意識が希薄という意味で)
もしくは遅かれ早かれ、あそこでこうしてればよかったと「タラレバ」を繰り返すのが目に見えている。

重複するけど、「平行して利益を生み出す必要がある」し、続けなくてはならないのですね。

お金のことに無知すぎた。

最初の頃のわたしはといえば、
SEOもデザインもプログラムもマークアップも、どれも中途半端だけど、
どれもひととおりはできるから何とでもなると思っていた。

お金のことはというと
経営の経験どころか中間管理職にすらなれなかった技術者あがり(それすら未熟)の私には、
あまりにも経験と知識が乏しくて数字の見方がわからなかったし今でも難しい。

もしくは数字を直視できない、苦手意識というのがある。精神的にもよくないしね。
そしてそれが、いわゆる超・自転車操業全盛期の幕明け。
しかもどこへ向かうのかがわからないというオプションつき。

お金にこだわるくせに、金のことを知らないから、
どこまで頑張ればいいかがわからずにモチベーションが下がって、
仕事は納期ギリギリになり、追い詰められて、更にモチベーションが下がるのだ。

そのサイクルが結局、
本来やりたかったことをどんどん遠のかせる。

事業計画書をみなおし、ルール・仕組みをつくる

中小企業にとって、たった数万数十万が会社の命取りになることがある。
余裕を持ちたくて、でも無知無計画すぎて、無理な受託をし、苦しくなる。

だから、事業計画があるのねえ。(イマココ!NEW!)
どういう計画にするのかが決まったら、今度はそれを単月・週・日まで落とし込み
そのときまでにどういなければならない、というのを決めなくちゃいけない。

あえて仕組みを決めたくはなかった。
仕組み化するということは、ルールが増えるということだ。縛りだってできる。

そういうのが嫌だから自分ではじめたのに!とどこかで捨てきれない想いもある。
もちろん、その方向性や仕組みを、少なくとも自分の要素で決めることができるけど、そんなに簡単な話でもない。

自分で体験してこそ自分の身になる

”気づき” や文章からの ”知識” はあちこちにあるので、わかってたつもりでいたけれど
自分で必要性に気づき、経験することでしか、本当に自分のものにはならないみたい。

少なくとも、自分でやってからでないと自分のものにできない私は、
やらなかったら一生気づかなかったことだと思う。

事業計画って大事なのだなあ。(イマココ!2度め!)

今でもまだまだ学ばなければならないことが多く、未熟。
「社長なんでしょ?すごいですね。」とか絶対的な位置にいるような言い回しをされるけど
ぜんぜん、家計を守っている主婦の方がよほどすごいと強く強く思います。

創業をこれから経験する人へ

自戒の意味もこめて恥を晒すようにこの記事を書いたのは、
華々しそうに見える5年目や10年目の会社のすごい人のお話よりも
ベンチャー2年目の身近なお話の方が聞きたい!と1年前に思ったからです。

最初は自転車操業かもしれないけど、自転車の車輪を大きくし、
より多くの想いと人をのせて目的地へ進むために
会社ってやつ(法人)は多くの難題を課すだろうけど、
なぜそれが大切なのかを気づいてください。

お金のこと、ファイナンスのことを勉強してください。
たったほんの少しのズレ(無知)が、遠くへ走ったあとに大きくずれていることに気づくはず。
もしくは、なんとなくゴールにたどりついて満足する。本当はもっと先まで行けたのに。

そしてそれを共有してください。
わかってるのは、自分だけかもしれません。
(これも最近、気づいた・・・。)

それでも最初の想いは変わらない

んで、サービスつくるのやめるのかっていうと最初の最初の動機の軸だけは
どんなに現実を見てもブレない。

それどころか、やりたいことはどんどん増えてる。
やりたいことを実現するためだったら、頑張れる。

すべては私と私の会社に関わる人が、やりたいことをやれる会社にするために。

おわり

日常生活をマーケティングに置き換えてみる

チェリケン

エスニックジョークにこういうものがある。
割と有名なので知ってる人も多いのではないでしょうか。

ある船に火災が発生した。船長は、乗客をスムーズに海へ飛び込ませるために、

様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。
それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?

ロシア人には、海の方をさして
「あっちにウォッカが流れていきました」と伝える。

イタリア人には、
「海で美女が泳いでます」と伝える。

フランス人には、
「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。

イギリス人には、
「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。

ドイツ人には、
「規則ですので飛び込んでください」と伝える。

アメリカ人には、
「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える。

中国人には、
「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。

日本人には、
「みなさん飛び込んでますよ」と伝える。

韓国人には、
「日本人はもう飛び込んでますよ」と伝える。

by wilipedia

続きを読む

自分を縛る鎖の出来を自慢してた頃と、鎖をとった今

ct

”「奴隷は自分を縛る鎖の出来を自慢する」ってすごい言葉だな。もの凄い真実を見た。”
http://togetter.com/li/54762

ほんとすごい言葉だな。

でも思い返せば会社員時代は、自分のこと社畜wwって皮肉っては
「もっとこうしたらいいのに」とか「何でこうしてくれないんだ!」とか
何かと環境のせいにして、仲間内で集まってはクダを巻いていたなあと思う。

「奴隷は自分を縛る鎖の出来を自慢する」の典型だったなあ。
その環境を選んだのは自分なのに。

ちなみに今は、大分で会社@2年目を経営しているのですが
わたしは全体的におもくそ自由にいたいので
自分がそうしたいからには周りにも自由にしてほしいし
「自分の良いと思ったことを信じて、やってくれればいい」と思ってたりする。

定時も仕事の分量も定めていない。
2年目だからできることかもしれないけど、これは続けていきたいと思ってるし
そのためにならあたしゃ必死で頑張る。なぜなら自分のためだから。

ちなみにこれは、
一風堂で働いていた頃にすごく良いなと思ったので取り入れたいと
強くおもったこと。

一風堂はオペレーションマニュアルがなく、
お客さまのためにできる最善のことを自分たちで考えるという
実にシンプルだけど難しい、ある意味「マニュアル」がある。

弊社は、規模の割には驚くほど組織だっていないというか、しゃちほこばった仕組みとか制度といったものがほとんどないんですね。新しい取り組みをするのにも、「こういうことをやって良いですか?」という決済を受けるようなシステムがないので、現場は相当なところまで独断でできるんです。ですから、いつ、どういう経緯で始めたのかということを正確に振り返ることはできないですが、「この暑い中お待たせしているんだから、せめて冷たいお茶でもお出ししようよ」というように、お客様の立場になって考えた結果の、純粋な思いつきがきっかけだと思いますよ。

via http://www.msandc.co.jp/jirei/v14.html

一風堂で働いて
自主的に「相手(お客さん)がどう思うか?」を考えることが当たり前になったし
社会に出て会社をしている今でも良かったとすごく思う。

ちなみに高校生の頃(一風堂の前)は某大手のファーストフードでも働いていたのだけど
ここではすべてがマニュアル化され効率化されていて
「自分はできる」と思わされるような仕組みがあったけれど
そのハコから出たら、そのハコ以外で通用しない技術だけが残っていたのを思い出す。

 

そして不思議なのだけど、ふたつの環境を思い返すと、
今まで縛られた環境にいた人に
自由を渡すと、どうしていいのかわからなかったりする。

 

某大手ファーストフード店で3年みっちり働いた私は、
「ここはこうしてください」という指示がないと、
なかなか動けない立派な指示待ち人間。

 
そんな私が、一風堂という自由な環境で働きだしの頃といったらひどい。
どうしていいのかわからない。いやほんと。

「自分で考えて動いていく」というのは、難しいのですね。

それを教えてくれた一風堂、今でも大好きです。

 

そうして数年、わたしは今大分へ本社を移し、
「自分がやりたいことを、自由に勉強していいし、
そのためにウチでわかることなら何でも教えるよ」

というインターン・・・というよりユルイ「環境」を提供しているのだけど
みんな「何を勉強したらいいか」を考えることが難しい様子。

自分で選んだようで、実は与えられた環境の中で、
自分で選んだようで、実はしっかり組まれたカリキュラムを
受け身のまま過ごしてしまっているせいか

課題を与えると生き生きし
期限を加えるとなおさら、寝る間も惜しんで勉強する。
不思議。

彼らを批判しているのではなく
言われたから、指示されたから、ではなく
「どうしたら関係する誰かのためになるか」を考え
「自分がなにをしたい」から何を選択する、を判断していく方が

「こうしてくれない(環境だ)」と
自分を縛る鎖の出来を自慢するよりも
よほど有意義だということに気づけたらいいなと思うのですね。

そうして自由を手に入れたと思ったけれど
自由であるためには責任が伴うことに気づいた今があって
縛られてた方が楽だったかな・・・とか振り返ることもあったりする。

何も定めないことにより、何が生まれるのか
あたらしい文化をつくるには産みの苦しみも伴い
それもひっくるめて楽しみだったりするものです。

おわり