”「奴隷は自分を縛る鎖の出来を自慢する」ってすごい言葉だな。もの凄い真実を見た。”
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ほんとすごい言葉だな。
でも思い返せば会社員時代は、自分のこと社畜wwって皮肉っては
「もっとこうしたらいいのに」とか「何でこうしてくれないんだ!」とか
何かと環境のせいにして、仲間内で集まってはクダを巻いていたなあと思う。
「奴隷は自分を縛る鎖の出来を自慢する」の典型だったなあ。
その環境を選んだのは自分なのに。
ちなみに今は、大分で会社@2年目を経営しているのですが
わたしは全体的におもくそ自由にいたいので
自分がそうしたいからには周りにも自由にしてほしいし
「自分の良いと思ったことを信じて、やってくれればいい」と思ってたりする。
定時も仕事の分量も定めていない。
2年目だからできることかもしれないけど、これは続けていきたいと思ってるし
そのためにならあたしゃ必死で頑張る。なぜなら自分のためだから。
ちなみにこれは、
一風堂で働いていた頃にすごく良いなと思ったので取り入れたいと
強くおもったこと。
一風堂はオペレーションマニュアルがなく、
お客さまのためにできる最善のことを自分たちで考えるという
実にシンプルだけど難しい、ある意味「マニュアル」がある。
弊社は、規模の割には驚くほど組織だっていないというか、しゃちほこばった仕組みとか制度といったものがほとんどないんですね。新しい取り組みをするのにも、「こういうことをやって良いですか?」という決済を受けるようなシステムがないので、現場は相当なところまで独断でできるんです。ですから、いつ、どういう経緯で始めたのかということを正確に振り返ることはできないですが、「この暑い中お待たせしているんだから、せめて冷たいお茶でもお出ししようよ」というように、お客様の立場になって考えた結果の、純粋な思いつきがきっかけだと思いますよ。
一風堂で働いて
自主的に「相手(お客さん)がどう思うか?」を考えることが当たり前になったし
社会に出て会社をしている今でも良かったとすごく思う。
ちなみに高校生の頃(一風堂の前)は某大手のファーストフードでも働いていたのだけど
ここではすべてがマニュアル化され効率化されていて
「自分はできる」と思わされるような仕組みがあったけれど
そのハコから出たら、そのハコ以外で通用しない技術だけが残っていたのを思い出す。
そして不思議なのだけど、ふたつの環境を思い返すと、
今まで縛られた環境にいた人に
自由を渡すと、どうしていいのかわからなかったりする。
某大手ファーストフード店で3年みっちり働いた私は、
「ここはこうしてください」という指示がないと、
なかなか動けない立派な指示待ち人間。
そんな私が、一風堂という自由な環境で働きだしの頃といったらひどい。
どうしていいのかわからない。いやほんと。
「自分で考えて動いていく」というのは、難しいのですね。
それを教えてくれた一風堂、今でも大好きです。
そうして数年、わたしは今大分へ本社を移し、
「自分がやりたいことを、自由に勉強していいし、
そのためにウチでわかることなら何でも教えるよ」
というインターン・・・というよりユルイ「環境」を提供しているのだけど
みんな「何を勉強したらいいか」を考えることが難しい様子。
自分で選んだようで、実は与えられた環境の中で、
自分で選んだようで、実はしっかり組まれたカリキュラムを
受け身のまま過ごしてしまっているせいか
課題を与えると生き生きし
期限を加えるとなおさら、寝る間も惜しんで勉強する。
不思議。
彼らを批判しているのではなく
言われたから、指示されたから、ではなく
「どうしたら関係する誰かのためになるか」を考え
「自分がなにをしたい」から何を選択する、を判断していく方が
「こうしてくれない(環境だ)」と
自分を縛る鎖の出来を自慢するよりも
よほど有意義だということに気づけたらいいなと思うのですね。
そうして自由を手に入れたと思ったけれど
自由であるためには責任が伴うことに気づいた今があって
縛られてた方が楽だったかな・・・とか振り返ることもあったりする。
何も定めないことにより、何が生まれるのか
あたらしい文化をつくるには産みの苦しみも伴い
それもひっくるめて楽しみだったりするものです。
おわり